こんにちは、日本画家の深町聡美です。
今回のテーマは「狩野派」。
誰もが聞いたことがある日本画の流派ですよね。
日本史の教科書にはこのように書かれているはずです。
狩野永徳「唐獅子図屏風」
でも、この作品、
狩野永徳が一人で描いているわけではありません。
狩野派の絵は一人で描いているわけではなく、
師匠と弟子が協力して描いていたんです!
どうしてそんなふうにしていたのか?
今回の記事では、狩野派絵師の実際の告白をもとに解説していきます!
狩野派のリアルな声
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Contents
狩野派って何?師弟で協力して描くって本当?
狩野派は、日本で400年も栄えた、世界一長寿な、絵の派閥です。
狩野派は日本画の一大流派で、約400年もの間、栄えていました。
特に、江戸時代にかけて大きな影響力を持ち、
様々な権力者から大切にされていました。
狩野派の絵づくりの特徴は、
- 師匠と弟子が協力して描くという「分業体制」
です。
狩野○○たちが一人で描いていたんじゃないの?!
弟子に手伝わせて楽をするなんて、ずるい!
ですが、この分業体制は、狩野家に伝わる伝統的な方法であり、絵の質を高めるための重要なシステムでした。
本当は、ほとんど弟子が描いてたってこと!?
狩野○○もちゃんと描いています!
描く箇所が師弟で違ったんです!
「狩野派は師弟で分業して描いている」
というと、
「狩野家の絵は全部弟子が描いているんじゃないか?」
と思う方もいるかもしれません。
ですが、実際にはそうではありません!
特に重要な部分や仕上げを、師匠自身が手掛けていました。
その一方で、弟子たちは色を塗ったり、下準備をしたり、師匠の指示で進行できることを担当していました。
たとえば、狩野洞春が描いた天女の絵では、
- 顔や身体の動作を示す部分:狩野洞春が担当
- 服装や持ち物:弟子たちが担当
というように分業して描かれています。
このように、師匠と弟子が役割を分担して絵を完成させることで、効率よく高品質な作品を生み出していたんですね!
狩野派は超人気絵所!
いつも凄まじい依頼に追われていました。
絵のクオリティを保ちつつ、大量の注文を納品をするには
このような分業体制が必要だったのです。
でも弟子に描かせるって、インチキっぽくてなんか釈然としないなあ…
そんなあなたのために、
もうすこし分担作業の理由をお話します!
絵を分担して描くってどういうこと?インチキじゃないの?
弟子に描かせて自分の手柄にする話を、フィクションで見たことあるよ!
フィクションの日本画界では、
- 弟子に描かせて自分の手柄にする
- 死んだ師匠のフリをして弟子が贋作を作る
などが描かれることがあります。
その影響もあり、
狩野派の絵が師匠と弟子の協力で描かれていたと聞くと、
「それってインチキじゃないの?」
「本当は自分で描いてないんじゃないの?」
と思うかもしれません。
でも、実際にはこれは狩野派の伝統的な方法です!
もとは作品を非常に高いクオリティを保つための工夫だったのです。
当時は分業で描くことが「掟」とされました。
まず、彩色を分担するという考え方は、狩野派の昔からの掟でした。
そして、分業というと
「師匠は楽をしている」
と思われがちですが…
狩野派の絵を描く師匠(狩野○○)たちは、
どんなに忙しくても、重要な部分の仕上げは自分で行いました。
例えば、依頼がたくさん重なって深夜まで作業をすることがあっても、弟子たちに任せることはありませんでした。
どうして弟子に任せなかったの?
それほど、分業には厳格なルールがあったのです。
狩野派の絵の描き方ーこうやって師弟で分業していた!
絵を分担する具体的な方法については、少し複雑かもしれませんが、簡単に説明しますね。
狩野派の絵では、「彩色の箇所」と「仕立ての箇所」という二つの部分に分けて考えます。
「彩色の箇所」とは、絵の中で固定されている部分、つまり背景や装飾的な部分を指します。
これらの部分は、弟子たちが色を塗っていきます。
- 彩色の箇所:固定されている
背景・装飾
➡弟子が描く場所
一方、「仕立ての箇所」とは、絵の中で動きや表情がある部分、つまり生き生きとした部分を指します。
これらの部分は、師匠が直接仕上げます。
- 仕立ての箇所:生き生きとしている
動きや表情がある
➡師匠が描く場所
例えば、人物画であれば、顔の表情や身体の動きは師匠が手掛けます。
一方、服装や持ち物などの固定された部分は弟子たちが彩色します。
この方法で、狩野派の絵は効率よく、しかし高いクオリティを保ちながら完成されていたのです!
この工夫がもたらしたのは、多くの依頼に迅速に対応できる事だけではありません!
- 各部分の専門性が高まる
- その結果、全体として美しい仕上がりを実現
このように、分業は決してインチキではなく、
むしろ狩野派の絵を支える重要な要素だったのです。
こうしてみると、会社の運営みたいだね!
効率化の考えなど、現代でも通用する運営方法といっても過言ではないでしょう。
次は、具体的な絵の分業の実例を見ながら、
「洞春の天女」の描き方を探っていきましょう!
狩野派の作品「洞春の天女絵」の分担実践例を見てみよう!
ここからは狩野派の分業を、
人物画にあてはめた場合を詳しく説明します!
狩野派の技法書「丹青指南」に載っていた、狩野洞春作「東京都浅草寺観音堂の天女の絵」を元に解説しますね!
しかし残念ながら、この絵は現存しないようです。
この天井画は、現在は焼失してしまったようです。
今の天井画は、川端龍子の「龍之図」、堂本印象の「天人之図」「散華之図」です。
というわけで、以下では全く関係ない天女のイラストを元に図解します!
①動作を表す部分を狩野洞春、固定部分を弟子が描く
まず、狩野洞春が担当する部分と弟子が担当する部分を分けます。
洞春は天女の顔や身体など、動作を表す部分を描きます。
これらの部分は絵の中で最も重要であり、技術と表現力が求められる箇所です。
一方、天女の服装や持っている楽器などの固定された部分は、弟子たちが担当します。
洞春の具体的な作業手順は以下の通り!
- 姿勢の練習:
まず、洞春は天女の下絵を作り、個々の姿勢を練習します。 - 素書き:
下絵を基に天女の素描きを行います。 - 配色:
天女それぞれの配色を決め、弟子たちに指示を出します。
②狩野派の弟子たちが彩色を施す
そして、弟子たちは洞春の指示に従って、以下の手順で着彩を進めます。
リンクをクリックすると日本画テクニックのページに行けるよ!
また、巨大な人物画の場合、
弟子たちは以下の手順で肉色を塗ります。
③洞春が肉隈や輪郭を描く
そして弟子たちが担当部分の彩色を終えた後、
洞春が最終的な仕上げを行います。
- 肉隈:
表情や身体に、肉隈を施します。 - 輪郭:
表情や身体の輪郭を描き起こします。 - 頭髪、眉毛、唇、眼球の仕上げ:
頭髪、眉毛、唇、眼球などの細部を仕上げます。
このような狩野洞春と弟子たちの協力によって、
見事な天女の絵が完成したんですね。
弟子たちの助力が大きな力となり、
狩野派の作品は完成度の高いものとなっていたのです!
現物を見れないのが残念だね。
- 仕立ての箇所(師匠が担当)
・顔の表情
・身体の動きや肉色
・頭髪、眉毛、唇、眼球などの細部 - 彩色の箇所(弟子が担当)
・服装
・楽器などの持ち物
・下塗りから上塗り、隈取、括り、紋書
・背景や装飾的な部分
👆ちなみに、現存する浅草寺の天女の天井画はこんな感じ!
まとめー狩野派は師弟で協力したから、傑作を大量に作れた!
最後までお読みいただきありがとうございます!
以上が、狩野派の絵の描き方、分業制度の真実でした。
狩野派の絵が師弟で協力して描かれていたのは、インチキではありません!
むしろ、大量の受注をクオリティを保ちながら制作するための、重要な工夫でした!
分業によって、狩野派は多くの傑作を生み出すことができたのです。
それだけでなく、
- 細かい作業は全て師匠がするから、作品に統一感が生まれる
- 弟子は師匠の指導のもとで技術を磨けた
というメリットもありました。
師匠と弟子の協力によってハイクオリティな作品を生み出せたんだね!
この協力体制があったからこそ、狩野派は長い間、大きな影響力を持ち続けることができました。
次回も、狩野派の制作過程について、さらに詳しく解説します!
ご期待ください!
狩野派のリアルな声
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わるい日本画家、登場!
わるい日本画家、その2
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乞うご期待!
狩野派って聞いたことあるけど、よくわからないな…